海軍にゆかりのあるスポットや日本遺産などを巡るコース!

2時間

普通車 10,520円

ジャンボタクシー 15,520円

JR佐世保駅

集合場所はJR佐世保駅になります。
事前打ち合わせにてお決めになったお時間に合わせてお待ち下さい。

東山海軍墓地

佐世保に鎮守府がおかれてから太平洋戦争が終わるまでの約60年間に亡くなった海軍将兵17万余柱の霊が祀られています。
現在、合葬碑62基、個人碑437基があり、年間を通じて慰霊祭が各艦船・各部隊ごとに執り行われ、春には海軍OB会・海自OB会・水交会主催の「日本海海戦記念式典」、お盆には東山海軍墓地保存会主催の「お盆供養行事」、秋には佐世保市主催の「佐世保市戦没者追悼式」が行われています。明治後半より佐世保鎮守府のもとで海軍墓地として管理されていましたが、昭和34年より佐世保市の管理となり「東公園」として整備されています。
園内には、海軍を象徴する桜(ソメイヨシノ)が多数植えられており、絶好の花見スポットとしても有名で、年間を通じても多くの参拝者が訪れています。
 【お花見情報】3月下旬~4月上旬 ソメイヨシノ・・・約300本
        4月上旬~5月上旬 ツツジ・・・約4,000本

海軍橋・旧海軍佐世保鎮守凱旋記念館・海上自衛隊佐世保資料館・佐世保地方総監部・米海軍正門
佐世保地方総監部

1923年5月、凱旋記念館は、佐世保鎮守府管下の12県(九州・四国・沖縄)から、建設予算約8万6000円(現在の価値で約11億円)の寄付によって建設されました。建物は、レンガと鉄筋コンクリート造りの2階建てで、切妻を正面にみせた左右対称の外観、1・2階を通した柱、幾何学的な装飾等に特徴があります。完成した当時は、海軍関係の催しに使用されましたが、第2次世界大戦中は、海軍合同葬の式場に当てられました。
終戦後、米軍に接収され、ショーボートの名でダンスホールや映画館に使用されていましたが、1977年に国に返還、1982年に国から佐世保市に譲渡されてからは市民の演劇や音楽活動を行う多目的文化施設として、佐世保市民文化ホールに再生されました。
また、1997年には、大正時代の貴重な建築物として、国の有形文化財に登録されました。そして、平成28年には『鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』として日本遺産に認定されました。

赤レンガ倉庫群(佐世保重工東門前)

佐世保市の立神町に残る赤煉瓦の倉庫群です。
明治時代から建設されて、戦時中は大砲や弾薬が保管されていました。
現在は海上自衛隊の管理地となっており、内部は見れずに外観のみが見られます。
佐世保軍港は艦隊への補給が重要な任務で、現在も多くの倉庫が残っています。
貴重な戦争遺産として、現在も保存・活用されています。

弓張岳展望台
弓張岳展望台

佐世保の大自然と市街地が一望できる展望台。西側には遥か五島灘と九十九島の島々、南側には深い入り江の佐世保港、東側には美しい市街地が見渡せます。また、佐世保の夜景スポットとして人気の場所で、米海軍基地や造船所の灯りや市街地の灯りがオレンジ色に輝き、幻想的な夜景を楽しめます。日本夜景100選にも選ばれています。

弓張岳砲台跡

弓張岳(海軍では田島岳と呼んだ)において本格的な高射砲台の整備が行われたのは昭和13年(1938)頃のことであった。最初の装備は3年式8cm高角砲2門、空中聴音機1基、須式90cm探照灯1基であった。この装備は太平洋戦争開戦後も大きな変化はなかった。
しかし昭和19年(1944)に中国大陸にアメリカ陸軍戦略爆撃機B29が配備されてから飛躍的な強化が図られ、最終的には98式10cm高角砲6門に加え、国内で初めて対空射撃用の41号電探1基を装備した。最新式の砲台として空襲に対して激しく反撃し、昭和20年(1945)6月29日の佐世保空襲では電測射撃14回、139発を発砲しています。

JR佐世保駅

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